皇紀2600年

紀とは、明治政府が定めた日本独自の紀元(きげん=歴史上の年数を数える出発点となる年。紀年法)で、1872(明治5)年に明治政府が、神武(じんむ)天皇が即位した年を、記紀(古事記と日本書紀)の記載から西暦紀元前660年と決め、その年を皇紀元年とした。

1940年(昭和15年)は皇紀2600年に当たるとして,
橿原神宮・神武天皇陵の整備や奉祝の行事が行われたが、日中戦争の戦時下であり、国民の生活は苦しくなりかけていた。
翌年12月8日に太平洋戦争(大東亜戦争)開戦となった。

紀元二千六百年式典ノ勅語
茲(ここ)ニ紀元二千六百年ニ膺(あた)リ百僚)衆庶相会シ之レカ慶祝ノ典ヲ挙ケ以テ肇国ノ精神ヲ昂揚セントスルハ朕深ク焉(こ)レヲ嘉尚ス
 今ヤ世局ノ激変ハ実ニ国運隆替(りゅうたい)ノ由(よ)リテ以テ判カルル所ナリ爾臣民其レ克ク嚮(さき)ニ降タシシ宣諭ノ趣旨ヲ体シ我カ惟神(きしん)ノ大道ヲ中外ニ顕揚シ以テ人類ノ福祉ト万邦ノ協和トニ寄与スルアランコトヲ期セヨ

次の2種の奉祝歌が制定された。下記「・・・」をクリックすればメロディが演奏されます。
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「紀元二千六百年頌歌」

頌歌(しょうか)とは、神の栄光・仏徳・人の功績などをほめたたえる歌。


遠(とほ)皇(すめろぎ)の かしこくも
はじめたまひし 大(おほ)大和(やまと)
天(あま)つ日嗣(ひつぎ)の つぎつぎに
御代(みよ)しろしめす 尊(たふと)さよ
仰(あふ)げば遠し 皇国の
紀元は 二千六百年


青(あを)一草(ひとくさ)に 射照(いて)る日の
光あまねき 大八洲(おほやしま)
春のさかりを 咲く花の
薫(にほ)ふが如き 豊かさよ
仰げば遠し 皇国の
紀元は 二千六百年


大海神(おほわたつみ)の 八潮路(やしほぢ)の
めぐり行きあふ 八紘(あめのした)
聖(ひじり)の御業(みわざ) うけもちて
宇(いえ)と掩(おほ)はん かしこさよ
仰げば遠し 皇国の
紀元は 二千六百年


國民奉祝歌「紀元二千六百年」midi

國民奉祝歌紀元二千六百年」mp3

 

内閣奉祝會撰定/紀元二千六百年奉祝會・日本放送協會制定
作詞:増田好生/作曲;森義八郎 


       
金鵄(きんし)輝く日本の 榮(はえ)ある光身にうけて
  いまこそ祝へこの朝(あした) 紀元は二千六百年
  あゝ 一億の胸はなる


  歡喜あふるるこの土を しつかと我等ふみしめて
  はるかに仰ぐ大御言(おほみこと) 紀元は二千六百年
  あゝ肇國(ちょうこく)の雲青し

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  荒(すさ)ぶ世界に唯一つ ゆるがぬ御代に生立ちし
  感謝は清き火と燃えて 紀元は二千六百年
  あゝ報國の血は勇む


  潮ゆたけき海原に 櫻と富士の影織りて
  世紀の文化また新た 紀元は二千六百年
  あゝ燦爛(さんらん)のこの國威


  正義凛(りん)たる旗の下 明朗アジヤうち建てん
  力と意氣を示せ今 紀元は二千六百年
  あゝ彌榮(いやさか)の日はのぼる